1. はじめに:臨床現場でよく遭遇する「厄介な痛み」
理学療法士として臨床に立つ私たちは、大腿骨転子部骨折(Trochanteric Fracture: TF)術後の患者さんのリハビリテーションを担当する中で、しばしば「荷重時の痛み」という壁に直面します。術後、骨の安定性が得られる時期になっても、大腿部外側の痛みがなかなか取れず、荷重訓練が思うように進まない——。このような経験は、多くのセラピストが共有する悩みではないでしょうか。
これまで、こうした遷延する痛みの原因は、筋力低下や筋・筋膜の伸張性低下といった観点から説明されることがほとんどでした。しかし、それだけでは説明しきれないケースも少なくありません。なぜ、痛みは長引くのでしょうか?
本記事では、この臨床的な疑問に新たな光を当てるかもしれない、川西憲人氏らの研究論文「Relationship Between Gliding and Lateral Femoral Pain in Patients With Trochanteric Fracture」を紹介します。この研究は、痛みの原因を「組織間の滑走性(グライディング)」という新しい視点から捉え、客観的なデータに基づいてその関連性を検証したものです。本稿を通じて、この論文の知見が私たちの臨床にどのような示唆を与え、日々の実践をどう変えうるのかを探っていきたいと思います。
では、なぜ術後の痛みが長引くのでしょうか。論文が着目した新たな視点を見ていきましょう。
2. なぜ痛みは続くのか?―結合組織への新しい視点
TF術後の疼痛を考える上で、骨癒合のプロセスだけに目を向けていては、全体像を見誤るかもしれません。この研究が示唆するのは、手術侵襲や骨折に伴う内出血、そして炎症反応が、筋や皮下組織といった軟部組織に「質的な変化」をもたらし、それが痛みの根源になっている可能性です。
この論文の背景にある理論的根拠を理解することは、私たちの臨床思考を深める上で非常に重要です。研究の背景として挙げられているポイントを整理してみましょう。
- 問題の背景: 高齢化に伴いTFの発生率は増加傾向にあり、術後の歩行能力の低下は生命予後にも影響を及ぼす深刻な課題です。
- 痛みの特徴: 術後、特に歩行時の痛みを訴える患者は多く、その約47.3%が大腿部外側に痛みを認めています。この痛みが、患側への十分な荷重を妨げる大きな要因となっています。
- 仮説: 骨癒合がある程度進む術後3週を過ぎても、約40%の患者で痛みが遷延します。この原因として、手術侵襲や内出血によって引き起こされる結合組織の組織学的な変化、つまり「硬さ」が関与しているのではないか、と研究チームは考えました。
- 理論: 大腿部の深筋膜は、大殿筋の収縮によって近位方向に、外側広筋(VL)の収縮によって遠位方向に引きつけられます。歩行時など両筋が共同収縮する際、手術侵襲などによって組織が硬化し、筋と皮下組織といった異なる組織間の「滑り(グライディング)」が低下していると、この相反する張力が過剰な伸張ストレスや剪断ストレスを生み出し、痛みを引き起こしているのではないか、という仮説が立てられました。
この「滑走性の低下」という仮説を、研究チームはどのように客観的に検証したのでしょうか。
3. 研究の概要:組織の「滑り」をどう測ったか
研究結果の信頼性を評価するためには、その独創的な評価手法を正しく理解することが不可欠です。本研究では、これまで客観的な数値化が難しかった「組織の滑り」を、超音波エコーと画像解析技術を組み合わせて見事に可視化・定量化しています。具体的な研究デザインを見ていきましょう。
- 対象者 大腿骨転子部骨折でガンマネイルによる内固定術を受けた患者23名が対象となりました。
- 評価時期 術後約3週(初期評価)と、その8週間後である術後約11週(最終評価)の2つの時点で評価が行われました。
- グループ分け 初期評価時の「荷重時痛」の強さ(Numeric Rating Scale: NRS 0-10)に基づき、痛みが強い「重度群」(NRS > 5、つまり6〜10、13名)と、痛みが比較的軽い「中等度群」(NRS < 4、つまり0〜3、10名)に分類されました。(原文ではNRSが4と5の症例は除外されている点に注意)
- 測定項目 安静時痛、圧痛、伸張時痛、収縮時痛、荷重時痛の5種類の痛みと、後述する方法で測定した組織の滑走性が評価されました。
- 滑走性の測定方法 超音波エコーを用いて、大腿部外側の組織の動きを動画で撮影しました。具体的には、セラピストがメトロノームで毎分40回のリズムに合わせ、患者の膝関節を10°〜100°の範囲で他動的に屈伸運動させている間の、外側広筋(Vastus Lateralis: VL)とその上にある皮下組織(Subcutaneous: SC)の動きを記録。画像解析技術(PIV法)を用いてそれぞれの動きの速度をデータ化し、この2つの組織の動きがどれだけ連動しているかを相関係数で算出し、「グライディング係数」として数値化しました。
- 係数の解釈 この研究におけるグライディング係数は、以下のように解釈されます。
- グライディング係数が高い:2つの組織が一緒に動いてしまっている状態。つまり、滑りが悪い。
- グライディング係数が低い:2つの組織が独立して動けている状態。つまり、滑りが良い。
この独自の手法によって、滑走性と痛みに関するどのような関係が明らかになったのでしょうか。
4. 明らかになった事実:滑走性と痛みの明確な関係
この研究の核心は、客観的に数値化された「組織の滑り」と、患者さんが訴える「痛み」との間に明確な関連性を見出した点にあります。具体的なデータに基づいて、その結果を詳しく見ていきましょう。
まず、術後3週時点での重度群と中等度群の比較です。術後3週時点では、痛みが強い重度群で組織の滑りが有意に悪いことが示されました。
| 項目 | 中等度群 (n=10) | 重度群 (n=13) | P値 |
| グライディング係数 | 0.57 ± 0.18 | 0.71 ± 0.10 | .036* |
| 伸張時痛 (SP) | 2.3 ± 1.5 | 5.3 ± 2.0 | .022* |
| 収縮時痛 | 2.1 ± 1.6 | 5.5 ± 1.4 | .047* |
| 荷重時痛 (LP) | 3.1 ± 1.5 | 6.2 ± 1.1 | <.001* |
| NOTE. データは平均値 ± 標準偏差。グライディング係数が高いほど滑走性が低いことを示す。 |
この表が示すように、荷重時痛が強い重度群では、中等度群に比べてグライディング係数が有意に高く(=滑走性が悪い)、同時に伸張時痛や収縮時痛も有意に強いことが分かります。
そして、本研究の最も重要な発見は、その後の8週間の「変化」に見られました。リハビリテーション期間中の「滑走性の改善」と「痛みの改善」の間に、統計的に有意な相関関係が認められたのです。
- 滑走性の改善と荷重時痛の改善には、有意な正の相関が認められました (r=0.49, P<.05)。
- 滑走性の改善と伸張時痛の改善にも、有意な正の相関が認められました (r=0.42, P<.05)。
つまり、リハビリテーション期間を通じた**「組織の滑走性の改善度」が、そのまま「荷重時痛や伸張時痛の改善度」と直接的に相関していた**ことが示されたのです。
この結果は、私たち理学療法士の臨床にどのような変化をもたらすのでしょうか。
5. 臨床への応用:「So what?」我々はどう活かすべきか
エビデンスは、臨床現場で活用されて初めて価値を持ちます。この研究結果を、私たちの日々の実践にどのように落とし込んでいけばよいのでしょうか。ここでは、3つの臨床的示唆を考えてみたいと思います。
- 痛みの評価:滑走不全を疑う鑑別ツールとして 患者さんの主訴が「荷重時痛」である場合、その痛みの質を鑑別する視点が重要です。もし、安静時痛や圧痛はさほど強くないにも関わらず、他動的な「伸張時痛」や自動運動での「収縮時痛」が顕著に認められるのであれば、それは骨癒合の問題や持続的な炎症ではなく、軟部組織の滑走不全が痛みの主因である可能性を強く示唆します。この評価は、治療方針を決定する上での重要な判断材料となるでしょう。
- アプローチの転換:単なるストレッチから「滑りを促す」介入へ これまで大腿部外側の痛みに対し、大腿筋膜張筋や腸脛靭帯へのスタティックストレッチを漫然と行っていなかったでしょうか。本研究は、筋そのものの伸張性だけでなく、筋と皮下組織、あるいは筋と筋膜といった異なる組織間の「滑り」を改善させることが重要である可能性を示しています。具体的には、外側広筋と腸脛靭帯上の皮下組織を意図的に異なる方向へ滑らせるような手技や、大殿筋(近位への張力)と外側広筋(遠位への張力)の相反する張力を考慮し、両筋が付着する筋膜全体の可動性を引き出すようなアプローチが考えられます。介入の目的を「伸ばす」から「滑らせる」へと転換する視点が求められます。
- 患者説明への活用 「骨は順調にくっついていると言われたのに、なぜまだ痛いのですか?」という患者さんの不安に対し、この「組織の滑り」という概念は非常に有効な説明ツールとなり得ます。手術や内出血の影響で、皮膚の下にある組織が少し硬くなり、動きが悪くなっていること、そしてリハビリの目的がその「組織の滑りを良くすること」であると具体的に伝えることで、患者さんは自身の状態を理解し、治療への納得感や動機付けを高めることができるでしょう。
もちろん、この研究だけで全てが説明できるわけではありません。
6. まとめと今後の展望
今回ご紹介した論文は、「大腿骨転子部骨折術後の遷延する側方部痛には、外側広筋と皮下組織間の『滑走性低下』が深く関与しており、この滑走性を改善させることが疼痛緩和に繋がる」という、臨床的に極めて重要なメッセージを私たちに届けてくれました。
もちろん、この研究には限界点もあります。被験者数が23名と比較的少ないこと、滑走性の評価が非荷重下で行われているため実際の荷重場面での組織の動きを直接反映しているとは断定できないこと、そして術創部の影響で術後早期の評価が行われていないため、滑走性の問題が急性期の痛みによるものか、その後の活動性向上に伴うものかが不明である点などが挙げられます。
しかし、これまで漠然と捉えられていた「術後の硬さ」を「滑走性」という指標で客観的に評価し、痛みとの関連を示した意義は非常に大きいと言えるでしょう。今後は、この滑走性を効果的に改善するための具体的な治療手技は何か、その効果を検証するようなさらなる研究が期待されます。
私たちの臨床における「なぜ?」という探求心が、科学的なエビデンスと結びつくことで、より多くの患者さんを救う力となります。本記事が、日々の臨床における新たな視点とアプローチのヒントとなれば幸いです。
7. 引用文献
Kawanishi K et al : Relationship Between Gliding and Lateral Femoral Pain in Patients With Trochanteric Fracture. Arch Phys Med Rehabil. 2019;100(10):1-7.


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